2016.11.7水ノ口峠8の字周回サイクリング その2

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 一車線の道。荒れてはいるもののちゃんと舗装されています。学生の時に購入した5万分の1地形図、川口にもこの道は載っています。明治42年測量、昭和43年編集、昭和60年修正と記されている地形図です。この地図だと現在の地形図にあるアクセ谷の表記はなく明瀬と大平という2つの集落があります。明瀬には水田を示す記号もあります。
 当時走っていればまた違った風景を見ることが出来たかもしれませんが当時この道を走る事はありませんでした。
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 明瀬集落らしき場所に下ってきました。すでに人は住んでいない様子。水田の面影も全くありませんでした。
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 やがて視界が開けます。どうやら現在進行形の大規模な伐採、集材現場のようです。
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 切り出して整えられたばかりの木材が積み上げられています。この辺りが大平集落への分岐だと思うのですがそれらしきものは発見できず。
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 鉄板で補強された道。穴ぼこもたくさんです。ロードバイクだとかなり気を使うでしょう。地図を見て勝手に想像していたイメージとは大きくかけ離れた雰囲気の道でした。これはこれで面白い。実際走ってこの目で今を確かめることが出来たのは収穫でした。


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 古い橋で松尾川を渡ると県道はすぐそこです。
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 橋のたもとにあった石仏と共に。
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 県道149号腕山宮石線に合流。標識には辻渡しと書いてあるだけで知らなければこの道が井川町に続いているとは分かりません。4.5キロで標高差は300m。思っていたより険しくありませんでした。伐採現場の最前線なので作業によっては通れないかもしれませんが水ノ口峠への長いアプローチを回避する道としてありだと感じました。
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 追記
 2007年のGWに祖谷渓キャンプ場から松尾川ダムを経て桟敷峠方面へ走った時の写真をHDDから探し出すと当時こんな写真を撮っていました。この頃は明瀬にも人が住んでいたのでしょうか?
その3へつづく

2件のコメント

  1. お〜!これって納鳴村か!(迷家)
     なんともミステリアスで、良いですね。

  2. tomoさん
    コメントありがとうございます。
    迷家は観ていないのですが失われた町といった感じで確かにミステリアスでした。

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