2004年7月22日 第17ステージ Bourg d’Oisans-Le Grand Bornand 204.5km
早いものでこの2004年のツール・ド・フランス観戦記を書き始めてから1年が過ぎてしまいました。2010年のツールに合わせて書いていくはずがもう2011年のツールがはじまろうとしています。2004年に一緒に回ったkusさんは今年もヨーロッパへ旅立っていきました。さて、僕もこのツールの旅の話を進めていこうと思います。
ラルプの個人TTの翌日も厳しい山岳ステージが続きます。この日僕らは2つ目の山岳、超級カテゴリーのマドレーヌ峠で観戦すべくキャンプ場を出て麓の町まで車を走らせました。
上り口のla Chambreという町に車をを止めて自転車でコースを上ります。ここを上るのは1998年以来2回目です。
コースはこちら
町を抜けるとすぐに急坂がはじまります。平均勾配は8%、休みどころがなく常に急勾配が続きます。さすがカテゴリー超級!
途中何度か警官に降りろ自転車はもう入れないぞ、と、止められますが歩いて行って警官の姿が見えなくなるとまた乗って上るのを繰り返していきました。
が、峠の後半にあるLongchampというリゾート村で関係車両やキャラバン隊に追い付かれストップ。止まってキャラバン隊の通過を待ちます。
キャラバン隊はツールの現地観戦ならではの楽しみです。派手なパフォーマンスやばらまかれるノベルティ商品を集めるのも楽しいです。
で、これを書いていて思い出したのですが2004年のヨーロッパと言えばこの曲でしたね。
車中のラジオや街角、そしてキャラバンカーからも頻繁に流れ妙に耳残るフレーズが頭の中でリフレインし思わず口ずさんでいるといった感じでこの年最も印象に残った音楽でした。
ヨーロッパ滞在中はどこの誰が歌っているのか全く不明でしたが日本に帰ってきて同じ曲が妙な訳詩ではやっていたのでかなり驚きました。結局世界中でヒットしていたのですねー。
キャラバン隊が通り過ぎてからレースの先頭が来るまでは少し間があるので自転車を押して村の外れまで行きそこでkusさんと合流してレースを待つことにしました。
峠まではあと数キロ。頭上に人垣が見えますが今回は辿り着けませんでした。
逃げの数名が去った後テキサスの州旗を翻した男が駆け上がってきました。彼、最近は長い角を付けているあの青年でしょうか?
そしてマイヨジョーヌのランス・アームストロングを含む大集団が上ってきました。超級峠ですがまだこの日の序盤なのであまり大きな動きはないようでした。
その後車に戻り翌日の観戦に向けて出発。スイス国境近くのキャンプ場まで走りました。
移動したルートはこちら
今年は日本人の出場が無くなってしまったので
残念です!
幸也の”優勝”が(>_<)
toshiさん
ですねー。残念です。