出発は2000年12月11日でした。
『夕方、家で自転車の輪行に手間取りイラつく。結局オーストリッチの大きな輪行袋に入れた。自転車が無事現地に届くかが最大の悩みである。
不安が広がる。遅くまで準備、友人に電話して少し不安を消す。。
何でこんな旅をしなければならないのか?もっと楽に生きることも出来るのに…。いや、出来ないからこんなことを続けているのか。逃げなのだろうか?でも他の人に何かが伝えられたら…。』
当時の日記より
ずいぶんと不安に悩まされてます。南米という全く未知の大陸に行くのだからしょうがないか。
この後日記にはTVで偶然パタゴニアの事をやっていて驚いたと書いてある。石川直樹氏のPole to Pole 2000のドキュメンタリーだったはず。これからパタゴニアを走ろうかという日本人が今パタゴニアを走っている日本人の映像をTVで見るなんて偶然とはいえ出来過ぎだなあなんて思った記憶があります。
そして翌日
『新幹線に乗ってしまったら不安が少し消えた。やるしかないか』
とあります。そう一歩踏み出せば何とか前へ進まざるを得なくなるのです。
この後が結構大変でした。成田のチェックインカウンターで自転車をそのまま積むことでもめにもめ、超過料金が10万円はいるなんて言われても払えるわけがなく途方に暮れていると助け舟。自転車がすっぽり入る箱を用意してくれてその箱代1200円で積んでもらえることになりました。何とかなるもんです。
成田からロスへ約10時間、ロスからブラジルのサンパウロへさらに11時間。サンパウロから目的地チリの首都サンチアゴへは4時間ですがこの乗り継ぎ便が遅れ空港に着いたのが午後5時。自転車は無事到着。組み立てていると女性が話しかけてきます。この自転車はいくらするの?とか何日間どこを走るのかとか。。どうも荷物チェックの係官で何やら許可証がいるらしいのです。カウンターへ行くと書類を1枚渡されこれを国境で見せるように、絶対失くさないようにと念を押されました。自転車のナンバーは?と聞かれ困っているとフレームにALPSとあるのでアルプス号という事になりました。これでアルプスワールドローバーのチリでの正式名称もアルプス号となったのです。
で、来年の3月11日までにチリを出るようにとの事。親切にありがとうございました。
さあ、出発!!地球の歩き方には空港から市街地まで26キロとあったのでまあ何とか明るいうちに市街地に着くだろうと思って走り出しましたが飛行機の遅れで到着が3時間ほど遅れています。警官に道を聞き標識を頼りに進んでいたのですがどこかで環状線に迷いこんだらしくいっこうに町が見えてきません。というより今どこを走っているのか全く分からなくなってしまいました。日も沈みそう。さらに水道管が壊れたのか道路が水没、車に水を引っかけられて全身ずぶ濡れ。もう最悪。
やがてどこかの町に入ったのでもうホテルがあればどこでもいいや!と投げやりになって走るものの何もなし。さらに辺りが真っ暗になってもうお手上げです。
しゃあないのでタクシーを探します。数台停まっていたので話しかけると俺のに乗れとやや大型で屋根にキャリアのある車を指さす男がいました。サイドバックを外して自転車は屋根にドンと載せて走り出しました。市の中心部へは結構遠かった。今思えば空港からタクシーに乗るべきでした。
運転手さんに地球の歩き方の地図を見せて目星を付けていた安宿へ行ってもらいます。待ってもらい部屋を聞くと何と満室!ショック!!実は他にあてがないのです。準備不足やなあ。
しかしここでも助け舟が。様子を見ていた若い旅行者の男性が1ブロック先にもう1軒あるから行ってみようと言ってくれるではないですか!彼について行きその彼がフロントに話を付けてくれて今日は7000ペソの高い部屋しかないが明日は3000ペソの部屋が空くと教えてくれました。OK、十分です。言う事ありません。ありがとう。こうして親切な人の助けを借りながら旅はどうにかこうにか始まりました。
タクシー代はチップも入れて6000ペソ。当時1000ペソが約204円でしたから7000ペソの高い部屋たって日本円だと1400円くらいなんですけどね。
この日唯一の写真。ホテルに何とか落ち着きビールを飲むの図。1本500ペソ。
つづく
南米の旅 憧れます。
私は諸事情でキャンセルしましたので。続き楽しみにしてます。
871さん
いつまで掛かるか分かりませんがよろしくお願いします。