12月22日 朝はとても冷えてます。南半球だから夏のはずなんだけど?
Los Angelesを過ぎると道が片側一車線になってしまいました。追い越す車に注意して走らねばなりません。地形も山がちになり起伏が激しくなってきます。1キロ、1キロが重くのしかかりなんでこんな事してるんだろう?と考える余裕すらなくひたすらただ前へ進むのみでした…。写真もありません。
やがて長い下り。次の州に入りました。チリは15の州がありここではビオビオ州からラ・アラウカニア州に入ったことになります。この辺りからさらに越えていく谷が深くなりきつさを増します。
走行距離も90㎞を超えて足ががくがくしてきます。もうすぐCollipulliの町に着くころガソリンスタンドの標識が現れました。荒涼とした感じであまり雰囲気は良くないのですがテントを張ってもよいかと聞くとあっさりOKをもらいました。
泊まったのはこんなところでした。
近くに商店がありこの日は自炊せずにそこでハンバーガーを買って夕食にしました。店番の女の子が話しかけてくるので片言のスペイン語で日本人でサンティアゴから自転車で来たことを伝えるととても驚いていました。さらに1人であるというともっと驚いていました。
9時過ぎにガソリンスタンドのお兄ちゃんが平らでいいよと勧めてくれた裏の空き地にテントを張りました(写真のところ)
翌12月23日、かなり深くて広い谷を橋で越えました。車が通るとグラングラン揺れます。そして並行して鉄道橋も。写真はその鉄道橋です。
今日も道はうねります。当時の日記を読むとまだ荷物の積み方で悩んでいたようです。荷のバランスが悪いと細いクロモリフレームがブンブンしなってまともに走れないのです。今思えばリアキャリアの上に重い荷物を積み過ぎていたのでしょう。
この日は100㎞走ってTemucoへ。この辺りではかなりの大都市です、人口は当時26万人。明日はクリスマスイブ。キリスト教の国でクリスマスを過ごすのは初めてです。おそらく商店や銀行なども軒並みクリスマス休暇に入るはずなのでこの町で3泊することにしました。
写真の民宿、1泊5000ペソ(約1000円)でした。
つづく